● 占星術の底辺に横たわる唯識論、あるいは垂示思想
唯識論では、この世に現れ出てくる全ての事柄は、心の表れであると考えます。「諸現象は唯心の象現である」という言い方もされます。この概念は仏教だけではなく、アリストテレスやキリスト教の考え方の中にもあります。
旧訳聖書のエレミヤ書(17-09)には、
「心は他の荷物(にもの)にも勝って不実であり、必死になる」 と書かれています。人は自分の周りに起こり来ることが自分の心に源を持っていることを知らず、他の要素や偶然も加味されていると思いたがります。心は必死で、自分の心を外界に表現しているのに。。。
人々は自分の回りに起こりくる事が、自分の思っている事と違う、自分が考えている事と違う、と言います。聖書はそうじゃないよと言います。
普段思っているそのままのことを、心は現象化しようとして必死になっているとエレミアは言うのです。
「どうしてこんなことが起きてしまうのだろう」
という悩みそのものが現象化していると、聖書は言いきっています。
潜在意識の望みと、顕在意識の望みと食い違うから、不実だと述べているわけです。でも、現象化しているものこそが、どこか心の底で、本当に心が必死で感情を込めて求めているものなのです。悩み、恨み、そねみ、妬み、憂い、悲しみ、全部、現象化します。
そういう状態へと導いて行くのは、そういう状態を作り出している心そのものだからですよと言っています。
仏教の唯識論は、そのまま教議として存在しています。
あなたの周り? それはあなたの心だと。
ネイタル(誕生の)チャート(ホロスコープ)を作れば、そこにはネイタルが生まれた瞬間に持っていたネイタル自身の心を示すことになります。気象も温度も周りにいた人も、その人を示すのですが、それを客観的に印す方法を現在の人類は持っていません。唯一客観的な時間と惑星の位置を利用できます。それが、占星術です。
その人の心が、前世を通じてもたらした象現であるとします。それを読み解いていくのです。これを始めて呼吸をした瞬間に求めるわけです。
心ですから、変化させることもできるわけです。人生は変えられます。
● ホラリー(時間に基づいて判断する)のチャートでも同じです。質問が生まれた(占星家という助産婦によって)という質問にとっての誕生チャートは、質問をした人の心の顕れ(表れ)と考えるわけです。
質問者自身が質問を為した時ではないのか? これも、もっともな考え方です。しかし、質問者は質問を断続的に考えていて、いつ自分が自分の質問を発したか覚えていません。質問を身籠もっている状態と捉えることができます。産ませる介添え者が要ります。クライアントが思い立って占星術師の元へ赴き、占星術師とコミュニケーションをすることで、それで質問が特定の時間と場所を得て生まれるわけです。
諸現象が時間を決定できる心による象現でない限り、占星術は成り立たないことになります。
それが占星術の定理です。時間の(心象を表わす)決定権は、不思議にも全ての魂に内包されているというわけです。
惑星を使いこなすという考え方がありますが、上記の考え方に基付けば、人は心が使いこなせるだけで、特に惑星を持ち出す必要はありません。
唯物論的な考え方では、惑星が現象を動かしてくれるかもしれません。でも、そういう事はありません。現象を動かしているのは心の方です。心があなたの「主」のはずです。惑星の影響力を使いこなすことはできません。惑星の形作る良い時間を選ぶという考え方は可能です。
● 「魂」こそが、「心」の主(あるじ)ではないのか?
そうなのかもしれません。しかし、あなたは自分の「魂」に触れたことがありますか?
「心」は、私たちが感情の揺れなどで認識できるのですが、「魂」は? あるらしいということは分かっても、つかめていません。「魂」を知るために人生があるのかもしれません。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』