西洋占星術の歴史 1



西洋占星術は いつ頃 誕生したの ?

● 今から、約2100年ほど前です


意外な 理由が見つかります

  1. 四つのエレメントは、エンペドクロスという人が、2500年ほど前にギリシャ哲学の中で、3つから、4つにしました。3つでは説明しにくかったからです。現在、西洋のエレメントは、アリストテレスの本にあるように、5つです。5つ目のエレメントはエーテルです。

  2. サインを作ったのは、星座の名前を借りて、カルディア人達が、2500年ほど前に作りました。天文の観測をし易くするためでした。

  3. 惑星の並び順、土星 木星 火星 太陽 金星 水星 月 と、カルディア人が並べたのも、2500年前頃です。これをカルディアン・オーダーと言います。西洋占星術の様々な場面に登場し、カレンダーの元になっています。
  4. 紀元前200年以上前の、確たるネイタル占星術のチャートが出土していないのです。
  5. それ以前の星の位置の遺産は、ネイタル占星術や、マンデン占星術と、今日の概念とは異なるものです。おそらく、星占いの類はあったものと思われますが、アセンダントを確定して占う形では無かったようです。
  6. これら2,100年ほど前に作られたと思われる占星術のことを、ヘレニスティック占星術と呼びます。これは、今日私たちが行っている占星術の原型です。その名前が示す通り、ギリシャ語が語られている地域で産まれました。

このように、2500年ほど前に、ほとんどの西洋占星術の要素がそろったのです。それらを基にして、西洋占星術の原型ができるまでに、400年ほどが必要でした。地中海のコス島には、紀元前280年代に既に占星術の学校がありました。しかし、そこで行われていた占星術は、ヘレニスティックな占星術と異なるものでした。

  • 最初に提案した人は、ヘルメス・トリスメギストスを名乗る人物で、それが誰なのかは分かっていません。また、その人の書いた書籍も残されていません。同時に、ハヌビウス(又は、ハヌビオ)という人物も登場します。
  • 次にそれを遺した人は、これまた、神の名を名乗るアスクレイピオスです。この人は、書物の中にヘルメスから習ったと書いていたそうです。しかし、この人の本も、後の参照文から存在が知られるだけで、残されていません。
  • そして、更に、この時代の流行でしょうか、自分の名前を語らずに、歴代の王の名を語ったり、神の名を名乗る人物たちによって、引き継がれていきます。それらの人たちは、ネセプソ、ペトシリスを名乗る人物です。
  • ここに登場した人たちの書物は、いずれも遺されていません。偉大な図書館である、アレクサンドリア図書館にはあったものと思われますが、二度の大火にあって消失してしまったと思われます。この時代の全ての文学、幾何学、哲学等にも言えることですが、アレクサンドリア図書館の消失は文化の継承に多大な影響を与えました。

● 『西洋占星術は、ギリシャ哲学で使われるようになった4つのエレメントという考え方と、カルディア王国で考案された12のサインと、同じくカルディアで考えられたカルディアン・オーダー(7つの惑星の並び順)を結び付け、これらを基礎として生まれた星占いです。』

 

下記の図のような天球図が想定されます。これは、17世紀に描かれた図です。

トレマイックな天球
トレマイックな天球

西洋占星術を組み上げた 基本的な構成要素

● エレメント 
アリストテレス(BC.382~B.322)は『自然学』という本の中で、エレメントを4つにしたのはエンペドクロス(BC.492~BC.432)だと書いています。それまでギリシャのストア哲学には3つのエレメントという考え方がありました。エンペドクロスはそれを3つでは説明しがたいので4つにしたというのです。更にアリストテレスはその本の中で、5つ目のエレメントについても言及していて、火・地・風・水というエレメント以外に、エーテルと呼ばれるエレメントがあり、それは神々の領域にあると書いています。エーテルは、エレメントを持った惑星の天球を通して地上に降ろされると考えました。エーテルとは、東洋の気のような概念です。

 

● 12サイン
一方、(日本では新バビロニア王国と言う名前で知られている)カルディア王国では、紀元前5世紀ごろに、12のサインというものが考え出されました 。黄道帯を通る太陽の通り道に、春分、夏至、秋分、冬至点を印し付けることによって、様々な天文の観測が容易になります。それを更に12等分することによって、太陽の動きと季節が天文観測上の正確な物指しとなりました。

 

● カルディアン・オーダー
カルディアには惑星の並び順を観察して、カルディアン・オーダーという名前を付けた惑星の並び順があります。それは、肉眼で見える見かけの早さに基づいています。太陽と水星と金星の平均速度は同等ですが、逆行等の動きも加味して観測すると、見掛け上、水星が早く動きます。このような観察で並べることによって、現在我々が知り得る天文学上の並び方とは違う、一番外側に土星、次は木星、続けて火星、太陽、金星、水星、月という順番に並ぶ、カルディアン・オーダーと呼ばれるものが出来上がります。別のページで説明していますけれども、この並び順でも太陽が真中になります。中世ヨーロッパでは、太陽を中間者と詩的に読んだものでした。天王星や海王星を入れ込むと、太陽は中間者になれなくなり、したがって王ではなくなり、技術的にはコンバストも無くなります。

  ※コンバストの意味合い。太陽である王は、王権を奪いに近付く家来を切って捨てるとする。

 

● 恒星
恒星は光を放っています。西洋占星術は、全ての光を持つ恒星を考慮に入れているわけではなく、特に、黄道に近いモノ、それと目立つモノを入れ込みました。それらの星々は空を見上げれば何かを感じさせてくれたのだと思います。我々の感覚は既に鈍って久しいのですが、古代の人々は、それぞれの恒星から来るバイブレーションの種類を鋭い感性で得ていたものと思います。真っ暗な夜に親しむものとして、せいぜいローソクやランプの時代には、星々とお酒ぐらいしか楽しみが無かったわけですから、我々とは格段に星に対する感性の鋭さがあったとしてもおかしくありませ。そんな感覚によって、恒星と、それをつなげた星座の意味合いを見つけてきたのでしょう。

 


西洋占星術の誕生 その時代の哲学的背景

● ギリシャの哲学
エンペドクロス(BC492BC432)がギリシャに生きていた時代は、カルディアで12のサインが考案された時代とほぼ同時期です。その後に生まれたプラトン(BC427BC347)の弟子、ギリシャ哲学の巨匠アリストテレス(BC382BC322)は『自然学』の中で、考察の為に占星術的な天球体系を持ち出していますから、西洋占星術の基礎が出来上がったのはほぼ紀元前400年を境にした前後のことだと考えられます。アリストテレスはアレキサンダー大王の家庭教師だった人です。それから、数百年を経て、ヘレニスティック占星術が生まれました。おおよそ、紀元前100年前後のことです。

 

ピュタゴラス学派に学んだエンペドクレスの唱えた四大元素(エレメント)は、後のヨーロッパ自然科学や哲学に多大な影響を与えていきます。例えば、ヒッポクラテス(BC460BC377)はこの4つのエレメントを使って古典西洋医学を打ち立てました。また、四大エレメントの考え方は、錬金術にも大きな影響を与えていきます。

 

プラトンは4つのエレメントを使って創造神話『ティマイオス』を書いていて、その中で創造神デミウルゴスは、世界を創造する時に火水地風の4つのエレメントを使ったとされています。プラトンはギリシャ哲学の初期の段階に、イデアという考え方も持ち込みました。イデアとは永遠に変化しない、この世の物事を成り立たせている論理の基となる純粋な概念のことで、数学の「定理」のようなものです。架空の天空である黄道帯12サインは、占星術におけるイデアの一つであると理解されます。

 

そのギリシャで、4つのエレメントと12のサインとカルディアン・オーダーで並ぶ七つの惑星が結び付けられます。

 

星占いから西洋占星術へと変化した初期の段階では、このような事柄が結び付けられた重要な熟慮による大きな変転があったのです。それは、『創造神は、黄道帯12サインに充満する5つ目のエレメントを含めて、12サインから4つのエレメントを発し、恒星の天球を通し、そして再び4つのエレメントを受け持つ7つの惑星の天球を通し、そして、我々の住む地上にその力を及ぼす』というユニークな考え方です。この連携は全く物理的なものとは違っています。天にある全てのモノが神々の道具だとされたわけです。

 

このように明確に「西洋占星術」と名付けられるようになったのは、カルディアン・オーダーで並べられた惑星と、12サインと、4つのエレメントを使い出してからです。それは、紀元前4~3世紀の時代、これらの地域で始まったに違いありません。ハウスの概念は、幾らかの変遷の結果1世紀~3世紀に定着したようです。

 


● サイン (西洋占星術の天球での、その構造上の意味)

サインの位置神々の位置

カルディアン・オーダーでは、夜空を見上げると惑星達が、まるで幾つかの天球の層の中を動いているとしか考えられないとする思索から導かれています(上図参照)。この層の数は考察者によってその総数は一定していません。逆行する5つの惑星の順行と逆行にも層を加えた占星家もいたからです。しかしながら、ここでは最初に掲げた図のように要約した9つとしました。これは非常に基本的な天球の数です。7つの惑星の天球が各1つずつと、星座の天球と、サインの天球です。始めに出した図は17世紀のさし絵です。

 

占星術では恒星や、それをつなげた星座の更に上の層に、架空の天球であるサインを想定しています。天文学的な見解では、春分点の方が星座の天球を後ずさりしていると説明されていますが、占星学では逆に考えないと神々を想定することができなくなります。それは何故でしょうか。

 


勉強するのに時間を助けてくれる本


● 西洋占星術を勉強するための本は、現時点ではほぼ英語のものだけです。あまりにも、信頼できる日本語の本がありません。

 

3冊の本が下段に出ていますが、左側と中央の本が必須の本です。左側と中央の本は、今のところ英文のみです。

  

西洋占星術の語彙の定義がなされています。英語を理解できるだけでは心許なく、西洋占星術の理解に心を砕いてこそ理解が進みます。かなり難しい本です。

私たちが振り返ることのできる最古の体系化された占星術の著作です。この本だけではヘレニスティックな時代の占星術の概要を全てを網羅できませんが、これがないと他の著作が理解できません。

下記の本の日本語訳。

ハウスの概念が歴史を通して語られている素晴らしい本です。この本があれば、歴代の占星術師たちが、ハウスの概念を間違えなかったに違いありません。


私の書いている本も、推薦しておきます。『星の階梯 I』は、サイン、惑星、ハウスを説明しています。西洋占星術のチャートに出てくる主要な要素です。

『星の階梯 II 』は、西洋占星術を判断する三要素、リセプションディグニティーアスペクトを説明しています。多くのチャートでは、この3つの要素で判断が可能です。

 

それらを使って、例題を多く網羅したのが、『愛のホラリー占星術』です。リセプションを多用することで、相手の気持ちまでが読み解けることが分かってきます。

 

次のエッセイ『天球構造に付いて』をお読みください。

 

天球構造に付いて