惑星の光

 

 ◆ 星占いで取り扱う「光」そして「光の示したまう場所」


 

   対応関係を取り扱う占星術では、

 □ 惑星の光、そして、恒星の光は二義的なものです

 

 ● 西洋占星術で捉える、光の性質

 

 マルシリオ・フィチーノによれば、私たちの目に見えている光は二義的な光となります。第一義的な光は神の叡智から出ている光で、人間の普通の目には見えません。

 

 ● 対応関係を取り扱う占星術

 

 この二義的な可視光の発生は、対応関係を基とする占星術にとてもうまく当てはまります。惑星の光は二義的なものであって、惑星の存在をことさら証明しているものではありません。神の叡智による光によって、天空のある場所から光が届けられている感覚です。占星術で取り上げる天球構造そのものが、既に実在のものとは違っていることから、捉え方が二義的な光であっても何ら不都合はありません。

 

 ● 占星術の天宮講造

 

 占星術の天球構造は真実を把握するためのものであって、現実を把握する天文学的な構造とは違っています。そこへ登場する惑星達の光も、現実を把握するための光ではなく、真実を把握すべき「光」として登場しています。それは「場所(位置)」であり、同時に、可視光という二義的な「光」をも同時に持っています。この二義的な光こそが、真実を把握するために無くてはならない存在となります。

 

 ● 二義的な光を持たない「星々

 

 占星術で取り扱うこの二義的な光は、普段は二義的なものであると、ことさらに区別する必要はありません。何故なら、西洋占星術の天球構造を、天文学的なものと違うと意識して把握していることなど無いように、「光」によって惑星の位置を把握することはとても自然な事なのです。実践の場で、その時、星占い上の惑星の位置を、光として把握している人はいないといってもいいのです。二義的な光を三次元的な「場所」として、自ずと変換して把握していることでしょう。

 

 ● 問題は、占星術の構造へ哲学的な概念が持ち込まれる時に発生します

 

 「神の叡智である第一義的な光に対応した、二義的な光をその惑星が持っているのかどうか?」

あるいは、

 「実在の惑星の位置を使える可能性と、占星術的な否実在の天球構造への挿入の関係」

という命題です。

 

 そこでは、可視光という概念の捉え方を避けて済ませることはできません。

 

 そのプロセスを経ずに、場所だけをプロットしている惑星が増えている考え方の背景には、何らかの考え方・概念・哲学がきっと存在するはずです。しかし、その哲学が見えてきません。もちろん、神の叡智ですから、宇宙に存在する全てのものに意味はあるでしょう。だから使えるというのではなくて、西洋占星術として、惑星の意味はどうなるの?  という事なのです。

  

 ● まだまだこの考え方にも欠陥はありそうです

 

 もちろん、このような神の叡智の光を第一義的な光とし、可視光を二義的な光とし、便宜的に三次元的な「場所」を用いる考え方や、惑星とこの世の事柄は、対応関係を持つとする考え方。また、占星術的な天球構造を真実として、天文学的な天の構造を実在のものとするなどの考え方を、同時に考慮に入れるには、まだまだ考察の不足な面もあるでしょう。

 

 惑星には、時間を司どるという大切な役割もあります。それらの考え方を包含した西洋占星術の惑星の定義は、いまだ解決に至っていません。

 

 それを煮詰めるのは、あなたです。

 


後記

 為政者が変えたというのは作り話ですが、あながち嘘でもありません。

 実際には、難しい占星術を簡単にするために行われたようです。

 

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