非理法權天(ひりほうけんてん)


 ◆ 非理法權天 

 

 これは、西洋占星術の背後に流れているかもしれない考え方の一つとして提言しています。

 

 日本には、有職故実(ゆうそくこじつ)という学問があります。詳しくは Wikipedia を見て頂きたく思います。その有職故実の中に、『非理法權天』という近代法制度の基盤とされる言葉があります。楠木正成(出生は未知~建武3年5月25日(1336年7月4日)没)が旗印に掲げた文言として有名ですが、本当に旗印にしていたかどうかは分かりません。

 

 この言葉は、有職故実の法諺(ほうげん)として、伊勢貞丈(いせ さだたけ)(享保2年12月28日(1718年1月29日)~ 天明4年5月28日(1784年7月15日))によって簡単に説明されています。また、一般に有職故実家というのは、法令や礼式を研究する学問を職業にする者とされています。

 

 有職故実家の誕生は天皇家と密接に関係があり、その流れは天皇家を守ることに主眼を置いていたことも伺い知れます。したがって、法令制度を一般の慣習から取捨選択する過程において、故実(過去の実例)の中から、どうすれば家督が存続(家系存続)していくのかという意識があったとしても不思議ではありません。

 

 この考え方が有職故実家に流れていて、社会的な幸せという意識などを統合した場合に、家系を存続させるということに視点が置かれるようになっていったのは当然のことと思われます。しかし、残念ながら、有職故実家が勉学の対象としたのは、日本における法令制度の発達に焦点を絞っていると思われているわけですから、この考え方(家系存続の意識)を前面に出している学者は居ません。

 

 有職者(ゆうそくしゃ)というのは、家系存続の徳分としての法則をよく知っている人、ひいては、何をもって、何を行うと、何故幸せになるかを知っていた人という意味の有職者(ゆうしきしゃ)の基の言葉であると思われます。今日のようにその道に優れた見識を持つだけの人ではなかっと思われます。言葉を考えるとは、その歴史を探ることです。

 

心を正さずして学問をして何の詮あるか

鎌倉時代の僧 叡尊   

 

 洋の東西を問わず、西洋占星術の奥においても、証明はできませんが、そのような意識の流れ(どの様な事を天は幸せと認めるのか。徳とするのか。又、何をなせば幸せとなれるのか)があったのではないかと推察できます。旧約聖書を読んでいて、その中で述べられる家族が増えていく様子等は、徳としての家系存続を端的に示しているように思います。それを推奨している風にさえ思えます。

 

  1. 天によって認められる徳分
  2. 権(權)力によってしか推し進められない事柄
  3. 法によって始めて認められる事柄
  4. 理によって認められる事柄
  5. 非道とされる、慣習的にも疎まれる事柄

 法と理は逆ではないかと思われがちですが、道理は、法よりも弱いものです。例えば、日本の憲法第24条は、

『1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。』

『2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。』

となっています。

 

 何故、家族の同意が要ると書かれていないのでしょうか?

 

 ほとんどの場合、反対できる理由はありません。そのお相手を選んだということは、それまでそのような教育をしてきたということで、親の責任だからです。娘/息子の連れて来る人に反対するということは、自分の教育がなっていなかったと言っている事と同じなのです。それでも、「家族の同意が、筋として要る」のです。でも、それは結婚をする両者は大人と認められるわけですから、挨拶に過ぎません。

 

 反対できる理由は只一つ。

 相手の家系がこの結婚によって絶家してしまう場合だけです。

 

 それは、自分の身にも「絶家をさせてしまった」ということで及びます。やがて、相手を配偶者として迎えた家も、徐々に絶家に向かって進んで行くからです。蒔いた種は必ず育つからです。でも、もちろん、絶対ではありません。

 

 日本の慣習の中の理法では可能であった事柄が、この憲法の合意の基では家督が相続されていきません。

 

 独り息子が、独り娘をもらった場合、家系はどうなるのでしょうか?

 

 家族の同意があれば、将来、両家とも断絶せずに続けていけるものの、この規定があるばかりに絶家という状態が後を絶たなくなりました。

 

 天徳の中の、家系を存続させるということは大切な事だと故実は教えています。その中から家族の幸せも育まれて行き、人としての子、教えることを砂に水が吸い込まれて行くように吸収する子が育まれるのです。両親に不安があると、子供の発育を阻害するということは理の当然です。

 

 伝えられてきている物の道理では、明らかに家系を存続させた方が国家の為にも良いのです。しかし、現今の法律(昭和憲法)は、国家を弱体化させるように作られました。このような実例により、法律で決められてしまうと、理(道理)は弱いものであると証明されます。一つの故実です。

 

 権力はそれに勝って、勝手に法律を曲げます。これは、我々がよく知る所です。それはあっても良いし、防ぎようがありません。

 

 しかしながら、最終的に天の法則は全てを清算します。我々人類が間違っている事を、全て、どこかで改めさせるために苦難を用意してくれています。正に、幸福へと導くための苦難を、間違っている事を知らせる為に天は我々の為に用意してくれているのです。


 というような考え方が西洋占星術の背景に流れているのかいないのか。もし流れていないとしても、私たちが観察を続けているのは、明らかに天の法則(守れば幸せになり、守らなければ不幸になる)なのです。