● 多くの学生達を悩ませるリリーの各種の言葉の説明
ウィリアム・リリーのボイドについての説明は、多くの西洋占星術の学生たちを悩ませてきました。曖昧なままなのです。
リリーは、ボイドに付いてC.A 112pで説明をしています。これをこのまま鵜呑みにしてはいけません。
彼のボイドの概念に従い要約すると、
「月がそのサインを出るまでに、進行方向にアスペクトを持てない時」
「だいたいは月に付いて観察し、彼女がボイドだったなら、滅多に物事を完成させない」。そうあります。実際の英文が下記です。
"A planet is void of course, when he is separated from a planet, nor doth forthwith, during his being in that sign, apply to any other:" (C.A 112p)
『惑星がボイド・オブ・コースにあるとは、他の惑星から離れ(角度に従ったアスペクトから)、のみならず、近々その惑星が今居るサインにいる間に、別の惑星に近づいていないこと』 と書きます。
そう書いていながら、多くの例題で上記のボイドの定義に当てはまりそうなものを、ボイドと言っていません。これが、学生達を悩ませます。例えば、C.A152pの、カレントからの質問、「息子は家にいるのか?」 のチャートです。
上のチャートは見づらいので直すと下記になります。
リリーの定義では、このチャートはボイドになってしまいます。しかしながら、リリーはこのチャートの説明(153p)で、月は土星にアスペクトすると書いています。サイン内ではなく、月が魚のサインを越えてからなのですが、説明を逸脱しています。もちろん、月はボイドであるとも書いていません。
質問では、「息子は家にいるのか?」 とカレントから尋ねられています。息子を示すのは、木星と月。(ここでの月は、カレントではありません)
この二つの表示から息子は家に居るに違いないと判断してから、カレントが家に帰ったら息子は居たよ。となっています。
リリーは、この他にも、ボイドに見えそうで、ボイドでは無いチャートをたくさん残してくれていますから、「サイン内で」という定義は外してもいいのです。又、オーブの幅に言及することはあまり無いことなのですが、ボイドを観察する場合には、惑星のオーブの把握も時には必要です。このことが話を更にややこしくします。
● 古代のボイドの概念を、リリーは理解していました。
リリーの定義に従うようなボイドもあります。何が違うのでしょう?
私が受け付けた次の質問は、月のボイドが作用しています。確かに「サイン内で」という定義が作用するものもあるのです。
この両方の場合を、リリーは学生達に伝えたかったようです。
ホラリーというのは、質問の質に依存します。物事によっては、サインの端を物事の終端とすべき判断もあります。サインの端に達するまでを限定します。ですから、サインを超えてのアスペクトやコンジャンクションを完成と見ません。
質問は、期間限定に属するものです。
「就職できますか?」
カレントは水星、仕事を表す惑星も水星ですから、仕事を表す惑星を別に選ばなくてはいけません。土星が10ハウスのカスプに近いので仕事かもしれません。しかし、コンバストになっています。カレントが気持ちを向けている金星(月がレシーブしていて、仕事[金星]も月をレシーブしている)が恐らく仕事を表すのでしょう。
10ハウスのカスプに近い土星を選ぶと、ボイド以外の事柄で、この仕事は手に入りません。
金星が仕事だとすれば、月はトランスファーでやがて水星(カレント)にそれを届けます。リリーの定義に従えばこれはボイドですが、リリーの152pの例に従えば、これはボイドではありません。就職できることになります。度数で言えば5度、ケーダントでフィクスド・サインですから、最も長い期間がかかったとしても、半年ぐらい後だと考えられます。
でも、カレントはこの後、一年ほども希望の職種に就く事はできませんでした。
ややこしいですね。
同じチャートが、質問によって、ボイドになったり、ボイドにならなかったりするのです。
期間限定のものは、サインの端が終端です。例えば、
「試験に受かりますか?」
「受賞できますか?」
「この試合に勝てますか?」
「今日のパーティで、良い人に巡り合えますか?」
「バーゲンまでに、この商品は売れてしまいますか?」
これに対して、期間限定で無い質問なら、上記のチャートはボイドではなく効果があります。
「私はいつか、いい人に巡り合えますか?」などです。
● 更に古くにサエルという占星家は、ボイドに付いて次のように述べます。
『…月がどの惑星とも連結していなくて、どれも月に結びつこうとしていない時。これは、月とそのものによるボイド・オブ・ムーブメントと呼ばれる。それは、役に立たない、そしてそれは惑星の追放である。それは、惑星が他の惑星のどれとも連結していないのである。』
(※ベンジャミン・ダイクス訳。Sahl’s Introduction,§5.10)
全く、サインの端までとは書いていません。サインの途中であっても、ボイドになることがあります。サインを超えてアスペクトするなら、ボイドで無いことを示唆しています。
そう書かれたものを知っているリリーは、下記のものをボイドの月であると述べます。サインの途中にあっても、ボイドであると。C.A439pのチャートです。
やはり見づらいので、造り直しました。
C.Aの440pでリリーは、
"We have the Moon separating from Venus in the 8th, then going to be Vacua Cursus afterwards she Squares with Mars, "
『我々には、8ハウスにある金星から離れている月(現在ボイド・コースにある)があって、やがて彼女[月]は火星とスクエアとなる』
と書いています。実に巧妙なボイドの癖について、彼は"概念"を理解していました。
月は天秤の13.37に居ます。火星は蟹の25.40に居ます。月のオーブは12度、火星のオーブは8度。合計すると20度です。
普通はどう考えてもボイドだと思えません。でもボイドだと把握しています。
なぜでしょうか?
このVacua Cursusというラテン語のことを、442pでリリーは" (after a little being voyd of course) "と、「ちょっくらだけボイドにあった後に」と言い訳めいたことを書いていますが、重要な判断の目安です。
ここで必要なのは、オーブの概念の把握です。
オーブの概念のきちんとした理解がなければ、どれがボイドで、どれがボイドではない状態なのか把握できなくなります。
上記439pのチャートは、月の進行方向にアスペクトが無いわけではありません。でも、「ちょっくらだけボイド」だよと言います。何故?
オーブが重要になることは滅多にありませんが、ここでやっとオーブの重要性が出ています。
リリーは惑星のオーブを少なく見積もっていました。月のオーブも火星のオーブもこの半分にしていますから、足しても10度にしかならないのです。従って、リリーにはこの火星と月の差、12.03度はボイドに見えています。(オーブのこと)
それで、ちょっとだけボイドだよと書いているのです。
このことから、ボイドの考え方は、リリーも把握していることが読み取れます。
現代の古典占星家達は、このリリーの理解がおかしいと指摘しています。オーブを足すと20度だから、そこまで離れていても構わないとします。一方、リリーはどこでオーブを半分にすると理解したのか、フランス人占星術師、ダリオットの意見 (ダリオットは、モアイアティー〔オーブを半分ずつ採用する〕という概念を当時のヨーロッパに定着させた) を採用した結果です。でも、彼はクリスチャン・アストロロジー全般に渡ってそうしていますから、ある一定の期間、頑固だったに違いありません。
● サエルは、「進行方向にアスペクトを持たない星」と書いています。リリーのものから、「サイン内で」、が抜けています。実は、リリーもこのように実践では使っていたのです。
サエルももちろんサインを超えるアスペクトに付いて書いていて、リリーのものと矛盾しません。
『...もしも、惑星がサインの終わりの方にあり、それが何にも連結されていなくても、そして次のサインがその光によって突き通されて行き、たとえ、その惑星がそのサインの中でそれ(次にアスペクトする惑星)を見ていなくても、どのような惑星でもまず光で入って行き、それと連結する』
(※ベンジャミン・ダイクス訳。Sahl's Introduction §5.3)
この文節はとても深い意味を持ちます。理解するのに、2~3年かかりました。
● マーシャー・アラー(8世紀-9世紀始め)とサエル(9世紀初頭)はほぼ同じ時代の人ですが、マーシャー・アラーは、ボイドを、私としては、とても正確に使っていると見えます。それでいて、次のサインに入ってアスペクトすることも認めています。
On Receptionの7章で、獅子のサインの28.58度にある月に付いて、まず、ボイドだよと述べます。彼は、ボイドの定義をしていません。(しているのかもしれませんが、私は見ていません)。次に、月がサインを越えてスクエアになる火星にアスペクトしに行くと明確に述べます。彼はリセプションの話をしているので、この後、月も火星も互いを受け取っていないと述べます。だからといって物事が成就するとは言っていませんが・・・
マーシャー・アラーの文章で注目すべき点は、ボイドであることも認めながら、アスペクトすることも認めていることです。
マーシャー・アラーの方が厳格にボイドの概念を使っているように見受けます。
片や、サエルやボナタスやリリーは、オーブの影響内にあれば、ボイドではないのだとしています。
そこで、疑問に戻ります。
時と場合によって、ボイドが作用する時と、作用しない時があるのでは?
これまでの経験では、サッカーの試合などでは、オーブの影響を考えなくても、ボイドは効きます。何か終了の無いもの。変化があってから終端を迎えるもの。 質問内容がサインの端では終わりそうにないものには、サインを越えて考慮できるのだと考えるに至りました。
オーブの範囲内を考慮して月のボイドの影響が残るものには妊娠があります。数少ない経験ですが、サインの中で月がボイドになっていると(月が2度、次にアスペクトする惑星が23度等)、妊娠が否定されます。
どのような時にボイドは効き、どのような時にボイドはサインを越えても作用し、どのような時にサインを越えずに考慮すべきなのか、それは偏に質問の「質」に依存しています。それを厳密にお伝えする事はできません。今の所つかんで頂くより他にないのです。
スクールでは、ボイドをつかんで頂くためにも、幾つかのチャートによって時間を掛けて練習をしています。その練習を経ないと、最終的にはボイドを捉える感覚は伝わりません。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』