誕生日に基づく占いは、どうやって発展してきたのでしょうか?
古典的な占星術は、丁寧に物事を組み立てていきます。少々面倒かなとも思いますが、基礎も丁寧です。アスペクトという概念がありますけれども、それが効くということを実感して、学びも前へ進んでいきます。どうやって実感するのかというと、アスペクトで物事が成就することを体感すればいいのです。卑近な例として、試験に受かるのかどうかといったことで確かめられます。リセプションやディグニティーも、体感できるものです。
誕生日に基づく占星術は、実は、とても難しいものです。アスペクト、リセプション、ディグニティーを実際に経験してから始まります。星空を観察するために眺めることでも、初めて実感できることが沢山あります。それを丁寧に学んでいくので、古典的な占星術は時間がかかります。
それに、西洋占星術が生まれてからこの方、約2500年。この間に、誕生日や誕生時間を知っていた人が、西洋占星術を発展させるほど、大勢いたのでしょうか? 誕生日や、誕生時間を知る人は、とても少なかったのです。ちょっと考えてみると分かりますが、カレンダーも時計も庶民が持たなかった時代に、誕生日に基づく占星術が広まっていたのでしょうか?
まして、西洋占星術の時間の計測方法と、庶民が使用していた古代の時間の計測方法は、西洋でも東洋でも違っていました。庶民の生活用の時刻は、王宮のある場所の、日の出を基準(6時)としてスタートするものとされました。夏の日の出は時計時間の4時少し前、冬の日の出は時計時間の7時過ぎ、時計を持たない状況では、日の出(6時、惑星時間)が最も分かり易い基準でした。
日本でも、庶民は、日の出とともに「卯の正刻」として始め、その時間は夏と冬ではばらばらになる不定時法を使っていました。これで誕生日に基づく占いをする為に、現代の我々の知る時計時間に直すなんて作業は、相当の数学者が近くに居なければ、できっこなかったのです。西洋でも、同じことです。日の出とともに、その曜日の惑星時間が始まったのです。
西洋占星術は、決して誕生日に基づく占いにより発達してきたわけではないのです。
古い技術なのですが、再興を果たしつつある途上です
そんな危険なものに掛けたく無い。という人もいるでしょう。
でも、どちらが連綿と伝えられたものなのでしょうか? HPを通して読んでもらえれば分かります。
これまでの知識も、役に立ちます。
幾つかの事柄は、全く違います。知っているからこそ違いが分かるわけです。
古典的な西洋占星術師が、これまでのものと比較をしながら学べる楽しみもあるはずです。それを、どう捉えるかは感性に関わっていますが、どちらがより正しく伝わってきたのか、是非、英語の本で確かめてください。それが、嫌! だったら、学ぶしかないではありませんか。
アラン・レオは、広く西洋占星術を残そうと心掛けました。
しかし、そこでは、古代の幾つものテクニックが、書かれずに封印されてしまいました。17世紀以前に西洋占星術が持っていた技術が、ほとんど失われてしまったのです。その結果として、新しい想像で創造された技術が幾つも出てきました。
● 失われた技術があります
新しい技術が、過去の技術の上に建っているのであれば、それは更なる発展と言えますが、学べば学ぶほど、基礎の無い事柄の上に、土台も無く新設されたものということが分かってきます。つまり、過去の西洋占星術と違うものが付け加えられ、大切な技術が削除されたのです。月が通信を表しますし、お金を示すのは木星です。
例えば、
● アスペクトの解釈が違います。
アスペクトに準じるものとして、トランスファー・オブ・ライトや、コレクション・オブ・ライトがありますけれども、全く伝えられていません。
● オーブは、アスペクトという線が持つものではありません。惑星が持っています。
とすれば、アスペクトの種類ごとにオーブを変化させるのは変です。
● 惑星の定義が違います。
● ディグニティーは教えられていません。
(エッセンシャル・ディグニティーとアクシデンタル・ディグニティーがあります)
リセプションなぞ、無かったかのごとく言われます。
(ミューチャル・リセプションは、言葉だけが伝わっていますけれども、まったく解釈が違います)
● ボイドの解釈が、全く違います。
ギリシャ占星術のボイドは、月の前方に30度何のコンタクトも無い場合でした。これが基礎になってボイドの概念ができています。8~9世紀には、確かにサインの端までにコンタクトが無い場合にボイドであると定義されましたが、月がサインの端にあって、ボイドという定義に沿った状態であっても、物事が成就する場合があります。どのような場合にそうなるのか、歴史に沿って捉えていかないと、ボイド1つが把握できません。
ボイドが間違っていて、西洋占星術の正しい判断が付くのでしょうか?
● これらの技術が伝えられなくなった理由を、下記に書きます。
最大の理由は、ラテン語やギリシャ語やアラビア語の本を、参照できなかったからです。今日でも、ラテン語の本や、アラビア語の本や、ギリシャ語の西洋占星術の本にアクセスする能力を持っている人々は、それほど多くいないでしょう。日本人なら、なおさらです。
● どんどん、英訳されています
2000年代に入って、それらの本がどんどん英訳されてきています。私のコースでお伝えしているのは、8世紀前後にアラビアで書かれた、1世紀辺りからの技術に裏打ちされたものです。それが英訳されていますから、それを頼っています。このような占星術のことを、現在、中世メディーバルな占星術の技術と呼んでいますが、それは、とりも直さず西洋占星術のことです。
● 8~9世紀の、体系的な書籍がよみがえりつつある
体系的に整えられた西洋占星術のテクスト類は、8~9世紀のものしか残されていません。とすれば、その辺りの西洋占星術のテクニックを学ぶしかありません。それでも、部分的には1世紀まで遡ることが可能なものもあります。
私たちはあまり感じませんが、体系的であることは、とても貴重なことです。ホラリー、イレクション、ネイタル、マンデン、メディカルと、どのジャンルにも通じている法則が学べるからです。ネイタル特有の解釈、ホラリー占星術特有の使い方が無いわけではありません。月のボイドなど、ホラリーとネイタルでは、幾分違った解釈が行われます。しかし、何だか同じような意味なのです。
新しい意味を付け加えると、確かに新しい解釈が出てきます
例えば、♈のサインには1番目のサインとして始まりという意味があると誰しもが思うわけです。でも、過去にそう解釈してチャートを判断した占星家はいません。
始まろうとしている時が始まりなのであって、♈のサインだけが始まりでは無いのです。
それどころか、世界の始まりのチャートは、♋のサインがアセンダントだと明記されています。じゃあ、始まりのサインは♋でしょう。でも、そう解釈した占星家もいません。
今日のモダンな占星術は、歴史を無視して、創作の上に創造されていますから、とんでもない発想のもとに解釈されていることが分かってきます。
知ることは力なのです。
一週間で何から何まで習得できるほど薄っぺらなものではありません。
「西洋占星術短期集中講座」などを散見しますが、リセプションの概念は、そのような講座に決して登場しませんし、学べません。
● 私の講座では、何故、魂を見つける学問なのかが語られます
リセプションを学ばないとチャートのリーディングはハッキリ言って無理です。
私も英語の本を読んで学んできたのですが、『receive』という言葉がしょっちゅう出てきていながら、それはアスペクトのことであろうと勝手に思い込んで、長い間そう読んで理解したつもりでいました。しっかりと取り組まないと見えてこない言葉なのです。
レシーブという言葉使いは、リセプションの「理解ありき」の単語だったのです。
あまりにも、サラッと頻繁に出て来るので気付けないのです。
でも、気が付いてみるとリセプションのことを理解していないと、何も理解していないのと同じでした。
● 西洋占星術の入り口
そんなに簡単ではないということは、私も数十年西洋占星術に携わってきて思います。まだまだ、入口に過ぎないと。そんな学生に過ぎない私がお伝えできるのは、やはり基礎です。巷に溢れた基礎を充分に説明しないで本論に入って行く西洋占星術の教室では、決して学べなかったと、多くの教室を渡り歩いた方がおっしゃいます。
もちろん、ホラリー占星術が最初の占星術であるとは言えません。しかしながら、体験のできる占星術こそ、占星術が好きになってもらえると思います。早ければ、朝に問われた質問に、占星術のチャートが夕方には出ていることも多々あります。これを体験といわずに、何というのでしょう。
何を教わってこられたのか詳しく聞くことはありませんが、あまりにも私のお伝えする技術を、聞いたこともないし、そういう西洋占星術の解釈というか、アプローチの仕方があったとは、又、それが元々の形態であった事を時間の経過と共に理解されるのです。
理由は、当講座に[アスペクト、ディグニティー、リセプション]があるからです。
何世紀の間にも渡って、受け継がれてきた西洋占星術の技術です。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』