「星を読むことができるとしたら、それを書いたのは誰?」



占星術の持つ宗教性

信仰性と宗教性には若干の違いがあるとして、この文章を書いています。

 

日本人は、この国に古くから存在する神道のおかげで、特に戦後、信教の自由が与えられて無神論者が増えているような状況にあっても、初詣、あるいは、神社仏閣に参詣に訪れる方々が絶え間なく続いています。このエネルギーはどこから出てくるのでしょう。

 

私たちの宗教観は世界でも稀有な存在です。まず、ほとんどの人々が特定の信教を持ちません。一時新興宗教に身を置いたとしても、そこからやがては離れ、一般的な宗教観に落ち着きます。ここでは永田美穂女史が「日本人にとって神とは仏とは」ごま書房: の中から、なるほどと腑に落ちる一節を紹介したいと思います。的を得ているのです。

 


『私の場合は無神論者でも無く、かといって有神論者であるというわけでもない。しいて言えば、「おののく心」を自分がもっていること、それに気づいている人間だという気がする。何にむかって恐れを抱きおののくのかといわれるといわれると、それがわかればおののく必要はない。一般にも、どうもこのあたりに「信仰」というものの生まれる素地があるように見当をつけているが、これから先は人それぞれの問題であるので、私の場合は、自分がいったい何を恐れおののいているのか、それを知りたいために、一生懸命、宗教あるいは宗教的な世界を知ろうとしているのだと思う。』

永田美穂著 「日本人にとって神とは仏とは」より抜粋 


そう書かれています。非常に素直な感想で、私自身もストンと何か納得してしまったような気持になった次第で引用させていただきました。

 

もともと占星術の思想の中には、惑星のマークがそれと気付かせるように、心を整えてもどうにもならないという考え方が入り込んでいます。要としては、魂なのです。心は、月に代表されるように変化して止みません。それを整えようと追って行った所で、所詮は、満月になった次の瞬間から欠け始めるようなものなのです。

 

一方で、「円」は、そこへ足すことも引くこともほぼ不必要です。これは、太陽のマークです。点が真中に入っていますが、魂こそ、我々の人生で見つけるべきものというテーマは、惑星のシンボルとしてしっかりと刻み込まれているのが占星術です。

 

特に、西洋占星術は、楽しむ為だけのものではありません。魂を追い求める学問として発達してきたのです。知れば知るほど、奥が深いものです。真理を追い求める為の手段や方法は、占星術の法則の中に一切記されていません。何かが、静かに法則の中から求めよと指し示すのみです。

 

時々、古代の占星家達の誰かが、自らの著作の中で、神からの要請が無ければきちんとしたチャートのリーディングはできないばかりか、それは非難されるような物になるであろうと書いています。普通に読んでいれば、単なる脅しにすぎません。しかし、それが脅しでは無いと気が付く瞬間は、古典的な書物に向き合っていると沸々と湧き出すものです。そういう力が、古典的な書物にはあります。

 

そういう意味から、又、他の意義からも、西洋占星術の歴史観はとても必要な知識の一つとなります。正確に知る必要はありませんが、ざっと俯瞰した程度のものでも、有ると無いでは随分理解の程度が違ってきます。

 

西洋占星術の簡単な歴史