占いとは何でしょうか?
近代、占いには、様々な要素が紛れ込まされています。精神的な安定を求めるもの、癒し、心理的な、カウンセリング、そして道を選ぶ為に・・・
歴史的に占いとは何だったのでしょう。
占いは儀式の始めに行われていました。儀式とは、政(まつりごと)に関わり、人心を一つの方向へ向ける為の神の意志を納得させるものです。政治と密接に関わっていたのです。
「神がピラミッドを建てることを要請された」
そう言うのと、
「王である私の命である」
というのと、どう違うのでしょうか。
同じでは無いでしょう。王が言うのでは無く、神官が言うわけです。神官とは、神と人の仲立ちをする人です。神官が王である時代もありました。しかし、圧倒的に王と神官は別の人物の時代の方が長いのです。
神官の地位は当然高いものになります。それでも、王は王です。又、王は神官に何かを納得させられてもいたでしょう。王と神官の両人が共に人心を思いながら政を行う世は、きっと世の中も旨く治まっていたことでしょう。徳による政治は、その王が生きている間は続きますが、その王が無くなると徐々に崩れ出します。
徳により治められる時代、そこには現代と違って神を多くの民が信じていて当然の時代があったわけです。神官は偉大でした。彼(ほぼ男性でした)が伝えるのは神の意志であったはずです。
しかし、時代が我々に近づくほどに、王の意思が反映されるものが占いとして登場します。つまり、
「神よ、Aがよろしいでしょうか、Bがよろしいでしょうか?」
です。何やら現代の政治と似ています。AにもBにも、既に王の意思が入り込んでいるわけです。
それでも、神官の行う占いの介在と、儀式としての神秘性(場を清め、心を落ち着かせる時間を設けること)が人々を納得させるのに充分だったのです。
更に時代が我々に近付くにつれ、占いの内容が卑近なものになります。
「王である私は、隣の国の王女を妻に迎えられるか?」
「隣国と戦うのが、いつが良いか?」
初期の占いの目的である、神の意志を直接行おうとする姿勢から随分と傾いたものになってしまったのです。
ただ、言えることは、
占いとは、神の意志を実践すること
そこから始まったに違いないのです。それは単に人間が人間らしく生きることでしかありません。たったそれだけのことなのです。
でも、それが難しいのです。何故なら、人間が人間らしく淡々と生きるには大きな欲望を捨てていかなければならないからです。
考えてみると、占いが徐々に卑近な問いに対して答えなければならなくなった事の背景には、人々の我が儘が存在するのは明らかでしょう。ああしたい、こうしたい、こうなりたい、こういう希望を叶えたい。
そういう要望に全てに応えなくてはいけないと考える占い師も居るにはいます。でも、私は占いが歴史的に持っている重要でピュアな感覚は捨ててはいけないと考えています。そうでないと、占いに「地球の直径をどうやって計るのか?」といったような問題が持ち込まれても、応える必要が出て来てしまいます。
又、占いは、カウンセリングでもありません。カウンセリングの資格を持つ鑑定師の方もいらっしゃいますから、私はカウンセリングはそういう方達にお任せしています。
占いでは精神的な悩みに関する現状を把握することはできます。星占いのチャート(ホロスコープ)にはその悩みが映し出されます。その解決策が出ても、実行されるのはクライアントの方にお任せしなくてはいけないのです。それなら、カウンセリングを得意とされている人の方がよっぽどテクニックやどうすればよいかの知識が豊富でしょう。
占い館をあちらこちら尋ね歩いて、精神的な悩みを解決させようとされる、精神的に病んでいる方がことの他多い事を知っています。占いでは解決できない問題もあるのです。先ほど例に出した、「地球の直径をどうやって計るのか?」という問題と質は違いますが、占い師には解決のできない問題なのです。
それが、さも、占いで解決できるかのごとく多くの占い師が、貴女の悩み解決しますなんて言うものですから、悩みなら何でも占い師だ! ということになっているのでしょう。違います。占い館の一軒か二軒尋ねて、直ぐに気付けばいいのですが、そうではないのですね。
又、ブースを借りている占い師は、人間関係の悩みを占いでは解決できない事を知っていても、「それは占いでは解決できませんから、精神科医のカウンセリングを受けて下さい」と、言えないシステムになっています。ほとんど。
私は個人で活動していますから、きちんと占いにできることと、できない事を、クライアントの方に告げています。その方が互いに幸せになれるからです。
ネイタル・リーディングの本 | 推薦図書 『星の階梯シリーズ』