運命は変えられるのか

私は、John Flawley 先生に習った事をとても誇りに思っています。そこで教えて頂いた事は伝統と名前が付いた占星術ですから、できるだけ過去から伝えられてきたものを正確に残していきたいとも思うわけです。

でも、あまりにも過去に遡ることも無いとも思います。整えられていて、考え方が合っていて、確かめることのできる生きた占星術が目標です。そのためいには、現在進行形の生きている例も出していきたいと考えています。

 

話は変わりますが、 

自分の人生を考えてみた時に、運命は自生だと考えますか?

それとも、決まっていると考えますか?

 

決まっているにしろ、決まっていないにしろ、自分で作り変えていけた方が生きている実感が有るのではないでしょうか。私は占いというものを生業にしていて何ですが、運命は作り変えていけるものと心底信じています。

 

日々の繰り返しが習慣を作り上げ、習慣化されたものは、人格さえも変えていきます。人格が変われば付き合う友人が変わり、生活が変わっていきます。

生活が変われば生き方も変わり、人生も変わります。占いというのは、そこまでの力はありません。何もせずに普通に暮らして行ったら、こうなる可能性が多いですよ、ぐらいのレベルなのです。

 

そこのところをJohn先生に歩きながら尋ねると、そうだ。でも、クライアントが聞きたがるからネイタルを勉強するんだ。と、授業中に話していらしたことを再確認するようにおっしゃいました。

 

気質は変わりませんが、性格や人生は、本人の日々の生活でどんどん変わっていくものです。又、今の日本では、それが可能です。それが難しかったカースト制度やギルド制度がある時代もありました。それらの場合には、自分で自由で奔放な生き方を選べなかったわけですから。 

また、変えていける環境が在るのですから、どんどん変えていく努力をすればいいじゃないですか。天は自ら助くものを助く、と言います。この言葉に嘘はないでしょう。最初の小さな行いの変化は難しいかもしれません。でも、1年、2年と積み重ねていくうちに、10年20年と経つとものすごく変化していくでしょう。

 

じゃあ、占いは何故存在するのか?  占える限定期間で書いていますが、限定的なものです。その限定的なものでも利用可能な場合に使えばいいのです。何でもかんでも占いに頼ることは変ですし、自らの意志を占いに委ねてしまう危険性もあります。天も興味を失くすでしょう。

 

もし運命が決まっているとしたら、何もせずとも、そのまま動いていくはずです。明日から寝て暮らしても大丈夫、運命が変わるわけではないのですから。鳥や獣も、決まっているからといってそうしていません。

 

宇宙の法則はスピードと共に運動を好みます。動くしかないのです。楽をしようと思って町内会の役員なども全部避けていると、ちゃんと病気になります。本格的に、お休み下さいと。

 

夫婦仲がめっぽう悪いと、ボヤを出します。怒りは熱を持ちますから。何かの要素が加わると本当に火事になります。

 

怒ってばかりいると怪我をし易くなります。物に当たれば物に仕返しをされるので、自動車をぶつけたり、ドアを壊したり、本当にものが壊れます。始めはそうそう大切な物は壊れません。でも、気付かずに見過ごしていると、本当に大切な物が壊れます。人間関係もこの範疇に入ります。

 

これらは、幾多の経験から編み出された法則です。何も運命が決めているわけではありません。生活態度が決めるのです。

もちろん、逆の良い法則もたくさんあります。命だって瞬間伸びるのです。目の前にある時を捉えて、即座に果敢に仕事の処理をしている人は、少しずつ大きな仕事を任されるようになります。嫌々していて、「どうして俺に良い仕事が回って来ないの」かをぼやいている人は、何時まで経っても大きな仕事は回って来ません。

 

朝、目が覚めたら直に布団から起きている人は、必ず収入が増えます。理屈ではないのです。やってみれば経験できます。一定の収入しか無いよ?  でも、増えるのです。

 

境遇というのは、心が先です。これは間違いなくそうです。60歳に近付いてようやく確信したことですが、それが腹に落ちるのにはまた数年掛かっています。それくらい心というのが重要であるという事は、隠された法則では無いにしろ、字面では分かっていても、納得しづらい法則です。笑って、すこやかな心で暮らしてみて下さい。持続させれば、どんどん環境が変わっていきます。常にほほ笑みを絶やさない心で暮らすわけです。少々苦しいことがやって来ても、笑い飛ばして下さい。心をぶらさないぞ、と。

 

 

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