西洋占星術に必須なもの

歴史に照らし合わせた、西洋占星術を伝えています


 「西洋占星術とは何か」といった観点からのスタートでは、却って「西洋占星術」が見えてこないものとして、歴史からの考察を始めました。

 

先の考察で、西洋占星術が歴史的に所有していた様々な技術が、今日行われているよりも更に存在していたと述べました。

 

歴史の変遷の中で、どのような技術があって、顧みることができるなら復活させた方が良い技術や、既に完全に忘れ去られ、文献類には時々出てくるけれども意味不明なもの、更に、顧みる必要の無い技術が存在するならば、その理由も含めて捉え直さなければならないとも考えます。

 

それによって、必須なものが見えてくるかもしれません。すると、より占星術が「占星術らしく」確認できてくるのではないでしょうか。

 


こういったある「単語の概念」に関する考察では、ストレートにその概念に取り組み始めるよりも、時に、歴史的な推移から炙り出した方がハッキリしてくる場合があります。誰が考案した方法かは分かりませんが、その過程で副産物として「自分が大事にしている物事の歴史」を学び直すことができます。

 

その「モノ」を好きである、大事である、大切にしたい、という時にはその「モノ」の歴史を知ることを一般に行います。まるで、自分の好きな人の生い立ちも知りたいというのと同じです。「あなたの過去など知りたくないの」という歌詞もありますけれども、それは相手の醜い面を知りたくないというのと同義語であり、全く知りたくないというわけではないでしょう。好きというのはより理解する、より感じ取るということです。

 

 

ヘレニズムの時代にもともと在った「セクト」という概念は、アラビアに来た時には、「ヘイズ」とか「ハルブ」という概念に変化しています。

 

「ハルブ」は、昼の惑星が昼に地平線上にあること、又は、夜に地平線下にあることで、サインを問いません。

一方、「ヘイズ」は、昼の惑星が「ハルブ」の条件に加え、男性格のサインに入っている必要があります。

夜の惑星ならば、夜に地平線上にあって、男性格の惑星であれば男性格のサインに入り、女性格の惑星であれば、女性格のサインに入っている必要があります。

 

確かに、まだ、昼と夜に分けられていますが、昼の惑星はどうしても昼に地平線上になくては「ハルブ」や「ヘイズ」になれません。夜の惑星である火星だけは例外で、昼であれば、地平線下にあることで「ハルブ」になり、夜であれば、地平線よりも上にあることで「ハルブ」になれます。そして火星はその折に、男性格のサインにあれば「ヘイズ」と呼ばれる状態になります。

 

これが、「ドメインにある」という意味になりました。

 

ですから、「ドメイン」と、「ドミサイル」は、異なる概念です。

 

 

確かに、まだ、昼と夜は分けられています。

 

西洋占星術の歴史はとても古く長く、5000年~6000年も前からの研究があったとされるのも事実なのですが、ホロスコープは使われていませんでした。また、アセンダントもあまり重要視されていませんでした。それがホロスコープを作るという行為を行った時から、大事になったのです。したがって、ここではホロスコピック占星術と呼ばれる、ホロスコープを作って判断をする占星術に歴史を絞ることにします。

 

歴史の変遷の中から、西洋占星術が浮かび上がってくれば幸いです。

 

 

歴史を見据えてみましょう。初期のホロスコープを作る占星術には、確かに56000年前から行われていた星々の観察が含まれていたことに気付きます。それが行われていた地域は、ヘレニスティックな文化圏でした。伝説の人物、ヘルメス・トリスメギストスが出てきます。が、それは、その名を語る人物であり、当人ではないのであります。それを引き継いだ人物は、これまた神の名を冠したアスクレイピオスでした。もちろん偽名です。その時代、書籍を著す人々は、そういったニックネームを付けることが流行っただけなのです。

 

書物は残されていません。後世に残された引用や、当時の歴史家の語る事柄から、そういった書籍類が存在したことが分かっているだけです。大火で焼失したアレクサンドリア図書館には、きっと残されていたと推測ですが思います。これは占星術に限らず多くの文化のための悲惨な出来事でした。

 

 

それを読んでいたであろう人々の文献類が、幾つか残されています。20冊にも満たない数しかありません。それら全てを私が読んだわけではないのですが、そこには今日行われていない技術が残されています。

 

  • チャートを、昼と夜に分けました。
  • その技術では、昼の惑星とされる星々の意味が、夜には変わってしまいます。
  • その技術では、夜の惑星とされる星々の意味は、昼には変わってしまいます。
  • それぞれの惑星が、歓喜するという状態を観察しました。
  • それぞれの惑星が、太陽との位置関係で、解釈を違えていました。
  • それぞれの惑星が、他の惑星との位置関係で、解釈が異なっていました。
  • それぞれの惑星が、月との位置関係で、解釈を違えていました。
  • それぞれの惑星の月との関係が、他の惑星との位置関係の影響を受けました。

まだまだ、あります。

 

上記のものは5~6000年前から続けられてきた星々の観察・観測に基くもので、何も奇を衒ったものではありません。まさしく伝統というものです。こういった星々の観察方法が、ホロスコープを使う占星術が作り上げられたときには取り行われていたのです。(紀元前 100年前後のことです。この時代の占星術をヘレニズム占星術と呼びます。)

 

それがペルシャ(4~6世紀)を通り、アラビア(8~9世紀)に至り、ヨーロッパに至ったときには、すっかり忘れ去られたかのように、「どこそこの(サインとか、ハウス)に置かれた惑星の意味は」に、変わっていきました。

 

 

その原因を探っていますが、なかなか分かりません。不明です。理由が何かあるはずです。推測すると、エフェメリスの普及が要因としてあったのではと思います。しかし、疑問が残ります。エフェメリスを見た方が、惑星の観察が外へ出なくてもできるはずです。でも、昼と夜のチャートに分けるということも、徐々に行われなくなっていきます。何故でしょう。伝統的なものが失われていったのです。「不要だから行われなくなった」とは言い難い事実があります。アラビアの占星術に目をやると、既に「セクト(昼と夜に分ける)」というプロセスが欠落しています。代わりに、多少昼夜は残されていますが、昼の惑星が昼の場所にあることが重要視されていきます。地平線の下にあっても、なお、重要であった木星や土星の意味が、このことで変化してしまいます。

 

夜の惑星しかり。夜に月が地平線の下にあったりすると、あまり良くないことになってしまいました。夜の星である金星が、夜に地平線の上にあるなんて滅多に起こらないはずです。そうでない金星は、良くないことにされていきます。初期の占星術には、そういう弊害は出ていません。

 

 

ペルシャやアラビアを通っていく間に、昼と夜の区分がまったく無くなったわけではありません。ロットの計算などで時々出てきます。でも、徐々に、昼と夜の区別が失われていきました。不思議です。これは、発展なのでしょうか? それとも衰退なのでしょうか?

 

また、アラビアの占星術にも残されていますが、誕生の前の朔望月(新月や満月)の観察も、うるさく言われなくなりました。伝統的には観察されていたのに。これは、発展なのでしょうか、衰退なのでしょうか?

 

初期のホロスコープを使う占星術では行われていた、惑星の詳細な把握が、アラビアの占星術からは伺い知ることができません。何かが欠落したのです。それこそ、56000年間続けられてきた星々の観測・観察による西洋占星術が失われつつあったのです。これは、発展なのでしょうか、衰退なのでしょうか?

 

西洋占星術の目的は、チャートを読み取ることに違いないと思います。少なくとも、目的の1つにはなっていると思います。それそのものが西洋占星術であるとは思いませんが、チャートを読み取る為の主眼が、惑星の観察に置かれていました。現代の占星術でも、惑星の観察として、エッセンシャル・ディグニティーやアクシデンタル・ディグニティーとして残されています。けれども、その中には欠落させられた伝統的なものが多々あります。これは発展なのでしょうか、衰退なのでしょうか?

 

また、歴史を紐解きながら思うことは、チャートを読み取る前に、惑星の観察・観測が行われていた事実があります。チャートに乗せられている惑星が地平線の下にあっても、地平線の上に出ていることがよくあります。また、チャートには地平線の上にあるのに、見えないこともよくあります。それは、太陽の通り道である黄道に垂線を降ろす形でチャートができているからです。惑星たちは黄道の北にあったり、南にあったりで、そういうことで、こういったことが起きるのです。カシオペイアなどを見ているとよく分かると思います。北半球では年中見えています。だからといって、これらを昼の星々だとも言いません。昔から言いません。

 

こうやって歴史を通してどのように西洋占星術が行われてきたのかを集めていくと「西洋占星術とは、星々を観て適当なことを言うだけである」、という定義も成り立たないわけではなくなってしまいます。まぁ、事実そうやって揶揄されてきているわけですが。

 

 

ホロスコープを作って西洋占星術を行ってきた、という事実はあるにせよ、そのプロセスの中に埋もれてしまったか、顧みられなくなった技術は幾つも存在する、ということだけがここまでの歴史的な考察で分かってきたと思います。

 


次は、じゃあ、どのような形が、「西洋占星術」と呼ばれるものに極めて近いのか、必要物は何か、という考察に入っていけるはずです。